2011-08-20 Webマガジン『我逢人』Vol.4 を発行しました。


2011-08-20 読書会「『エンデの遺言』を読む」(6/25〜9/17)は継続中です。各回毎に参加できます。

2011-08-10 ToiToiToi!!!のシンボルマークを作りました。



「入道雲」

人に逢うことからすべてがはじまる

 この「我逢人(がほうじん)」は早くもvol.4をお届けすることになった。「我逢人」の語源については、創刊号で毛利氏が『「我逢人」(我、人と逢うなり)。禅語を集めた書物によると、道元禅師が中国で念願の師に出逢った時「まのあたり先師をみる。これ人にあうなり」と言葉に表したという。』と解説してくれている。人と人との出逢いの尊さを3文字で表した言葉。「人」「もの」そして「こころ」あらゆる繋がりと出会いと関係が大切であることを表すとても奥深い言葉である。4月から初対面の人にお会いする機会が多くなった。我逢人を胸に秘めてお会いするようにしたいものである。「友田不二男氏の再評価」に記載した恩師、友田不二男氏との出会いはまさに道元と同じ思いでの我逢人であった。
 人と逢う事ことから全てが始まる。日々の人との出会い、おつきあいすること、「逢えること」を大切にしていきたい。(横山 慶一)

Toi Toi Toi !!! のシンボル 〜メッセージ〜

 Toi Toi Toi !!! がめざす活動は、インテグラル理論やクライエント中心のカウンセリングの理論をバックボーンとした、個人も社会も活性化できるオーガニゼーショナル・ヒューマン・サービスの提供です。Toi Toi Toi !!! のマークはこの活動のロードマップを俯瞰したものです。
 私たちヒトや組織・社会などあらゆるものがホロンという構造を持っています。(ホロンとは下層のものを含んで越えていく、それ自体が完全性持っているにも関わらず、さらに上位のものの部分であるという構造のことです。)これが図の中心にある球体です。その周囲には主に3つの領域が拡がっており、ホロンはどの方向にも偏らないようにバランスを保つため、コンパスを携えています。
 ホロンは下層を含みつつ上層へと拡大しますが、これをら旋状の波線で表現しました。波線は黒ですが、この発達段階をインテグラル理論では色で表現しています。現在社会は大部分は「合理性優位のオレンジ」、一部「多元主義的なグリーン」の段階と言われています。そしてそこからティール(=色の名称)への跳躍が今日、期待されているところです。ティール(青緑)はホームページトップ画面のビルボートのバックカラーになっています。
 このイメージを曼荼羅のように使っていただいて皆さんも指向バランスや行動規範をチェックしてみて下さい。(横山)

※ クリックで拡大できます。

親子でアインラインブング

 ドイツ発のオイルを使ったやさしい柔らかなマッサージ、「アインラインブング」の講習を受けてきました。
 アインラインブングとは、シュタイナーによって始められたアントロポゾフィー(人智学)を基盤としたアントロポゾフィー医学の治療のひとつで、リズミカルマッサージを元に、マルガレーテ・ハウシュカ医師らが看護職、介護職の人たちのために手技を整理し、考案されました。ドイツ語の「einreiben」(なでる・さする)の名詞形で、日本語では「リズムオイリング」とも呼ばれています。一般的なマッサージとアインラインブングの違いは、マッサージは押す、揉むなどして筋肉やリンパに働きかけますが、アインラインブングは皮膚の表面を優しくなでるだけです。
 ところが、それだけでもさまざまな効果が得られます。リラックス効果はもちろん、身体の表面に触れられることで、普段は意識しない自分の体の境界を感じる「今、ここにある」という感覚、シーツやタオルケットで包まれる「覆われている」「保護されている」という感覚、身体が温まる、身体の奥から熱が生まれてくるような温かさ、など。
 やんちゃ盛りの2歳の我が子に、足のくるぶし、かかと、足の裏と足の甲を両手で包むようにゆっくりなでていくと、されるがままに大人しくじっとしていました。何かが伝わったのかな?? それだけではありません。この講習を受けて後、お家でお昼寝前にやってみようと試してみたら、それからネンネタイムには、「マッタージちて」とねだります。ゆっくりゆっくりぬくもりを感じながらマッサージしている時間は、親子の関係をつくっていくのにも役立っているようです。
 ちなみにこの講習会で使ったオイルは、WELEDA(ヴェレダ)のベビーオイルで、カレンドラの香りです。ベビーや幼児にはカレンドラやローズがお薦めとのことでした。(毛利)


友田不二男氏の再評価


  • 『「友田不二男」という人物は、そのキャリアの絶頂期においては、“日本のカウンセリング界でその名を知らない人は誰もなかった” ぐらいの人であり、また一部の人々からは “カウンセリングの神様” とも称されていた、いわば “日本のカウンセリング界のカリスマ的存在” だった人である。・・・ところが時は流れ、時代は移り変わり、現在では同氏の存在とその業績は(ごく一部の熱烈な支持者たちを除けば)、すっかり忘れられてしまっているのが日本の現状である。ーと評しても過言ではない。とくに臨床心理学の世界においては「ロジャーズを日本人に最初に紹介した人物」という程度の評価しか与えられていないのが現実である。(『友田不二男研究』 p.10;日本カウンセリングセンター刊)』

 友田不二男氏(1917〜2005)について、今日、あまりご存知ない方が多いかもしれません。1980年代後半、東京にいた頃の私の師匠であり、私自身の人生観を大きく形作ってくれたメンターの1人です。大阪へ移ってから20年近く、友田氏とはずっと疎遠になっていたところ、既にお亡くなりになった後の2009年、友田氏の活動拠点であった日本カウンセリングセンターを訪問した際に、この『友田不二男研究』という本を手に取って、その後の友田氏の偉業に触れ、改めて師の業績を関西へも伝えなければならないと感じました。

 友田氏の業績は、ロジャーズのカウンセリングを日本へ紹介したことだけではなく、そのロジャーズとの交流の中で生まれてきた氏独自の日本人のためのカウンセリング観の提唱、東洋思想やカウンセリング以外の社会との統合などが上げられます。

 カウンセリング界が種々の学派、派閥で混乱しているのを尻目に友田氏は独自のカウンセリング観を打ち立て、常に学ぶ姿勢でもって後進を育てつつ本質的なカウンセリングのあり方を探求されていたようです。友田氏が世の中から忘れ去られた一因として、東洋的な思想やスピリチュアルな世界との融合といった先駆的な考え方が当時はまだ受け入れられる土壌が育っていなかったことや、混乱した権威の世界に嫌気がさして身を引いたことなどが考えられます。

 ロジャーズの著作をいち早く邦訳し日本に紹介した功績は大きいものですが、実のところ全集を出す頃には既にロジャーズとは考え方が微妙に異なっていました。同書によれば、ロジャースは「関係のある関係」、友田は「関係のない関係」を重視するという根源的な違いがあることを指摘しています。

  • 『ハーバート・ブライアン〔注;全集に載せられているブライアンの症例といわれるもの〕と名付けられたクライエントが、人間が変化するのは、わかりやすくいうと “ひとりぽつんといるとき” である。人間と人間の接触があったり、現実の状況の中では、人間は変化しない、と言いだすんですよ。カウンセラー〔注;ロジャーズ〕はこの意見に反対で、“人間関係において人間は変化し成長していく” という。このところが私のキイ・ポイントになるので注釈をたくさんつけたんですけれど、私は確かにクライエントに軍配をあげているんですよ。人間はひとりでぽつんといるときに飛躍したり成長したりしてゆく。その飛躍や成長を確かめてゆくのが人間のつながり、具体の世界、であるけれど、その現実の世界、現実の人間関係において成長がおこるのではない、と思うんです。・・・ロージャズのテクニックが意味を持ちうるのは、クライアントがひとりでぽつんと置かれた状態になることにある。・・・受容や共感、さらには、反射といった技術(テクニック)が意味を持つのは、クライエントが “ソックリさん” を “ひとりでぽつんと置かれている” 状態から見ることが可能となっているかどうかに掛かっている というのである。(前掲書 p.156)』

 また、「我」と「吾」といった独自の自己論、孔子や老子、易などの中国古典や文学の原典からカウンセリングの思想を抽出し、日本人に合ったカウンセリング観を確立しつつあったことは、今日、認知療法などがしきりと仏教などを取り入れていることを予見していたようにも感じます。私個人は、現在の日本のカウンセリングの世界では東洋の考え方が一旦、西洋に取り込まれ、それを逆輸入(英語で表現したものが入ってきている)しているような気がしており、文化を尊重し原典そのものに取り組むのが本流だと思っています。

 1987年から開始されたロジャーズ・プロジェクトにおいて、諸富祥彦氏、末武康弘氏をはじめとした諸先生方の尽力により、友田不二男氏の国際的な評価が改めて見直されています。危機的な状況を脱しきれない日本において友田不二男氏の業績を見直し、日本における独自性や文化的特質をより深く考察した上での貢献を考えることはとても意義深いものと思います。(横山)


金子みすゝ゛ その詩のチカラ

 先日、ある新聞記事が目に留まりました。童謡詩人金子みすゝ゛の出身地、山口県長門市の市民会議が、みすゝ゛の詩集を東日本大震災で被災した福島、宮城、岩手県の全小中学校に贈り、読み聞かせボランティアを派遣する、という記事です。
 震災直後、テレビで「こだまでしょうか」という詩が流れ、脚光を浴びた金子みすゝ゛。その優しくあたたかい詩が、きっと被災された方々のこころを癒すことでしょう。
 20年も前の話になりますが、山口放送報道部に勤務していた頃、中国・四国地方の系列局の共同企画で郷土の文学を紹介する企画があり、山口県からは金子みすゝ゛を紹介することになりました。その取材が私とみすゝ゛さんとの初めての出会いでした。当時はまだ今ほどみすゝ゛さんのことは知られておらず、私もその時初めて詩を目にしたのですが、その印象は強烈でした。小さいもの、力の弱いもの、無名なもの、無用と思われているもの、この世に存在するすべてのもの、いのちに対する敬虔なまなざしと深く優しい愛情、この世に生まれてきたものへの静かで力強いエール。こころが洗われるようでした。
 それ以来、みすゝ゛さんの詩は、生きることに迷ったり、つまづいたりした時にわたしのこころが帰る場所になっています。

 震災から5カ月が経ちましたが、被災された方々にはまだこころがこわばったままの方も多いことでしょう。明日の生活をどうするか、途方に暮れ立ちすくんでいる人びとに、一編の詩がフリーズしたこころを溶かし、今ダウンしている力を活性化させるきっかけになることを願ってやみません。(毛利)




        星とたんぽぽ

  青いお空の底ふかく、
  海の小石のそのように、
  夜がくるまで沈んでる、
  昼のお星は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。

  散ってすがれたたんぽぽの、
  瓦のすきに、だァまって、
  春のくるまでかくれてる、
  つよいその根は眼にみえぬ。
    見えぬけれどもあるんだよ、
    見えぬものでもあるんだよ。




【ことば】

「理論は非常に有益である。なぜなら、あなたの理論はあなたが見ることのできるものを決定づけるのだから。(アルベルト・アインシュタイン)」[出典不明]

 ものを見る時には必ず眼という感覚器を使うわけで、見え方というのはどの人でも同じとは限らない。これは思考という知的活動でも同様で、ある理論が絶対に真実であるとは言えない。むしろどの理論にも真実が含まれていると考えるべきである。アインシュタインが言うように、理論は非常に有益であり、必要不可欠であるが、「あなたの理論はあなたが見たものとしてのみ決定づけられているのである。」とも言える。理論ありきになってはいけない。(横山)



前号を発行した頃、Facebookを使い始め、ToiToiToi!!!のページも立ち上げました。Facebookをきっかけに20年以上も会っていなかった大学の同期や友人と再会して飲みに行ったり、親しい友だちの友だちと繋がったりとコミュニケーションに大きな変化が現れています。書き込みの多い人は、その人の生活スタイルや好みなどもオープンになってしまうので、リアルな友だち(日頃から顔を合わす友人)との境界がだんだんと曖昧になってしまうことに、少し不安を感じます。また、カウンセリングを実施する枠組みや設定もかなり難しくなって、日頃からSNSやtwitterでコミュニケートしている人のカウンセリングはできなくなるのだろうか?といった心配も出てきました。時代に合った新しい対応が必要となってきそうです。(横山)


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