2012-2-1 Webマガジン『我逢人』Vol.9 を発行しました。



【輪読会】「『友田不二男研究』を読む 〜傾聴の原点〜」(10/24〜2012/3/5)開催中です。各回毎に参加できます。




元旦 日本 

顔 〜根拠のない不安から根拠のある自信へ〜

 前代未聞の出来事が続き、さまざまな価値観を変えざるを得ない状況になっています。困難な状況を乗り切るために今、「多様性を容認」し、様々な「繋がりを大切にする」ことがもっとも重要だと思います。様々な要因が絡みあった複雑さをクリアするには、表面的な理解や既存の考え方に基づく安直なノウハウは全く通用しません。新しい発想やアイディアを積極的に取り入れて、多くの人を巻き込む柔軟性が必要となってきます。新しい地縁結合型社会を創りだしていかねばならない東北の復興は、それを具現化する象徴的な出来事です。
 日本の社会では、会社や部署の「顔」とも言えるリーダーの存在が見えにくくなってきたように思います。ヘッドをころころ替えているような組織体制では真の強みを発揮することは難しいですし、属人化を避けてマニュアル通りに業務を粛々と進めるだけではうまく回らないことはもはや承知のはず。大阪で橋下市長が誕生した背景には新しいことをやってくれる強いリーダーへの希求があったからです。大阪は、橋下市長がどれほどのリーダーシップを発揮し、人と人とが繋がった時のパワーを発揮させる事が出来るかどうかにかかっています。
 このようなリーダーの元で、渾沌とした根拠のない不安から、ぶれのない根拠のある自信が産れてくることを期待しています。(横山 慶一)

レイブル応援プロジェクト 大阪一丸(おおさかいちがん)

 「レイブル応援プロジェクト 大阪一丸(おおさかいちがん)」。昨年末より、大阪府が主催し展開しているニートの若者を応援するプロジェクトです。
 大阪府には、ニート・ひきこもり状態の若者がおよそ55,000人いるとされています。一般的に「怠け者」「努力が足りない」と批判されがちですが、実際には「働きたい」という意思を持ち、就職に向けた努力をしているものの、様々な理由で就職に至っていない若者が大半を占めているそうです。このプロジェクトでは、そんな若者を新たに「レイブル」と名づけて応援しています。
 「レイブル」とはlate bloomer 【レイトブルーマー】=遅咲き・大器晩成の人という意味だそうです。社会に根付いたニートの既存のイメージを払拭したいという企画者の意図があるようです。このプロジェクトの公式ホームページには、late bloomer のことを次のように解説しています。「米国では、学業を卒業した後すぐに就職しないで、しばらく好きなことをするのがごく普通。地元でアルバイトをしたり、世界旅行に出かけたり、田舎に住んだり、様々な経験と視野を広げることで自分の地平を広げるのです。社会全体がそのような遅咲きを歓迎しており、自分探し・自分磨きとして様々な経験を積んだり苦労した人の方が、企業も魅力的だと捉える風習があります。日本も、もっと「遅咲き」に寛容な社会になるべきではないでしょうか?」。

 この解説に概ね賛成です。ただしアメリカでも失業率の高さや卒業しても就職できない厳しい現実があることは踏まえなくてはなりません。しかし、自分のキャリアを武器により良い職場環境を求めて転職することが当たり前のアメリカでは、もともと社会の素地として個人の生き方のペースを「個性」として尊重する考えがあるのではないかと思います。その点日本は、卒業したら即就職して、一生その組織に尽くすことが当たり前・・スタートラインで自分探しをしたり、自分磨きをしているとたちまち「出遅れ」てしまいます。人生の歩み方はさまざま、働き方もさまざまなのに・・。他と一緒でないと「枠をはみ出した人」のようにみられ、いったんつまずくとますます委縮して立ち直るのに時間がかかり自分らしく生きられないという悪循環に陥ってしまうのです。

 このプロジェクトの目的は、まずレイブル状態にある若者を多くの人に正しく理解してもらい応援していこうという気運を高めること、そして企業にも理解を広げて、若者と企業の橋渡しをしていこう、というものです。プロジェクトの詳細が載っていますので、ぜひ一度ホームページを覗いてみてください。

 2月21日(火)には、梅田サンケイホールブリーゼで、当事者が主役の大イベントも開催されるようです。


 先日このホームページ上に載せる、レイブルへの応援メッセージの依頼がありました。多くの著名人がメッセージを寄せているそうです。もう間もなくアップされるそうですが私のメッセージを以下に記載します。

 最近子育てをしていて思うことは、同じ月齢でも歩ける子がいれば、ハイハイの子もいて、言葉をしゃべり始めた子がいれば、あーうーというだけの子もいる、成長の歩みは決して横一線ではなく、また早ければ良いという良し悪しでもない、みんな違うけどそれでいいんだなぁということです。遊びになるとある子は積木、ある子はコマ回し、ある子は鉄棒と各々得意なことに夢中です。違って当たり前、それが「個性」=「生きている意味」なのだと思います。皆さんにも一人一人にこのような時代があったはず。ところが気づけばいつの間にか横一線を求められ、枠からはみ出した人はレッテルを貼られる、そんな冷たい世の中に必死に抗っている姿が目に浮かびます。私たちは一人ひとりに生きている意味があり、与えられた役割があります。自分の人生を大切に思えたらどんなに素敵でしょう。そして自分の能力を活かして周りの人を幸せにできたらどんなに嬉しいでしょう。あなただけの役割はきっとあるはず、もし一人で見つからないなら、耳を傾けてくれる大人はあなたの近くにきっといます。勇気を出して相談してみてください。


(毛利)

過去・現在・未来

 読書会『友田不二男研究』(日本カウンセリングセンター刊、2009年)の中で、ミヒャエル・エンデの『モモ』が話題となっている部分があり、登場人物であるマイスター・ホラが出したなぞなぞが紹介されている。本論の主旨は、筆者が小さな女の子である主人公モモの「大きさ」「ちいささ」という表現が、重要な概念であるということに対する気づきを友田先生が喚起してくれたことを述べているのだが、このなぞなぞが私たちにとっては実に深い意味を持っているので紹介したい。

三人のきょうだいが、ひとつの家に住んでいる。
ほんとはまるでちがうきょうだいなのに、
おまえが三人を見分けようとすると、
それぞれたがいにうりふたつ。
一番うえはいまいない、これからやっとあらわれる。
二番目もいないが、こっちは家から出かけたあと。
三番目のちびさんだけがここにいる、
それというのも、三番目がここにいないと、
あとのふたりは、なくなってしまうから。
でもだいじな三番目がいられるのは、
一番目が二番目のきょうだいに変身してくれるため。
おまえが三番目をよくながめようとしても、
そこに見えるのはいつもほかのきょうだいだけ!

『友田不二男研究 p.147』より引用



さて、ここでマイスター・ホラがなぞかけしている3人の兄弟とは一体何をさすのでしょう?

 この3人の兄弟とは、「未来」「過去」「現在」である。「現在」は究極的に小さい、しかし現在が存在しなければ過去も未来もなくなってしまう。「今」は今といった瞬間に過去になる。「今、ここ」に生きるとは瞬間々々、その刹那を生きることなのだと実感させられる。これは老子冒頭、「道の道とすべきは、常の道にあらず。名の名づくべきは、常の名にあらず」に通じるものがある。
 語られるものは瞬時に過去となり、「今」とは未来と過去の境界でしかなく、「今、ここを生きる」とは、この境界点を生きることにほかならないのだが、「現在」は「過去の経験」と「未来への願望」によって作り出された大きな領域として、さも方向性があるかのように認識されている。

 カウンセリングにおいては多くの場合「今、ここ」を大切にしようと言いつつも、ほとんど「今」を扱っていないことが多い。クライエントが語る「記述内容」に振り回されるのではなく、それを語るクライエントの姿そのものが「現在」なのであり、そこには過去からの経験も将来への欲求もない自由さがある。カウンセラーが向かうべき線を引かないように注意しなければならない。(横山)

親が子どもにできること


 昨年春から息子と通い始めた「レインボーサークル 親子クラス」が、今存続の危機に立たされています。今年度は0歳から3歳まで6組の親子が通ってきていますが、来年度からは2組になる予定で存続は難しいと主宰者から告げられました。法人運営ではないため、今もほとんどボランティアに近い形でスタッフの皆さんが運営しておられますが、参加人数が減るとさらに資金繰りが厳しくなり止めざるを得ない、苦渋の選択だったということでした。

 一年経ってようやく息子も楽しみに通うようになった場所を大人の都合で奪ってしまうのは忍びなく、参加者募集の広報をできる限りした上で参加者が集まらなくて閉鎖になるなら諦めもつくと思い、もう一人のママと話し合って、3月まで親子クラスの広報を主宰者と協力してやっていきたい旨を申し出ました。先日の会議で了承され、いよいよこれから広報に全力で取り組みます。

 親子クラスは豊中市の阪急庄内駅にほど近い民家で毎週木曜日に行われています。私たち親子は大阪市内から通っています。通うには少し頑張らなくてはならない距離ですが、初めてその家、通称・ちあハウス(主宰者の名前をつけてそう呼ばれています)を訪ねた時、庄内駅からちあハウスまでの線路沿いの桜並木が満開で、春の陽射しがキラキラとまぶしく、直感で毎週ここに来たい!!と思いました。(第一印象を大事にするところが私にはあります)。今でも銭湯がある下町の一角に「ちあハウス」はあります。門を入ると小さな草花が植えられた細い路地があり、その奥まったところに木造二階建ての小さな家があり、いつも温かい雰囲気で子どもたちを迎えてくれます。

 私はここに来るとほっとします。どのお母さんも自分の子と他の子と分け隔てなく接しています。ベテランの保育士さんがわらべ歌を中心に、手遊びや歌遊びをリードしてくださいます。リズムを大切にするクラスでは一日の流れが決まっています。自由あそび~あいさつの歌~手遊び歌遊び~おやつの時間(穀物と季節の果物)~外遊び~絵本の時間~さようならのあいさつ~時間が許せばお弁当を持ち寄ってみんなでおしゃべり・・そこで育児の悩みなどを話し合います。

 ちあハウスのおもちゃは木製のもの、まつぼっくり・栗・くるみなど自然のもの、草木染の布、手編みのひも、羊毛ボール、手づくりの人形、押し入れを改造した通称・小人さんの部屋でのままごと、コマなど、素朴なものがほとんどで、押せば音が出る電池のおもちゃとか、プラスチック製のおもちゃは一切なく、子どもの自由な発想でどんな遊びもできるおもちゃが中心です。

 時々、ママたちのリクエストに応えて、草木染やフェルトの人形作りなどの手仕事の時間も設けられます。それらを作る時間はあたたかい気持ちに包まれ、できた作品はこれまたこどもたちのおもちゃになります。

 季節ごとのわらべうた、節分、七夕、プール、遠足、アドベント(降臨祭)、誕生日会。四季折々の行事と昔から歌い継がれてきた日本の文化、シュタイナーの要素を取り入れた子供を個として尊重する姿勢、さまざまな縁が結んでくれた週一回の親子の集い。二才の子供にとって、これが記憶に残るものなのかどうかはわかりません。週一回、雨の日も猛暑の日も雪の日も、阪急電車に揺られて見る風景、社内での体験、駅からちあハウスまでの決まった道のり、小さな二階建てのおうちのにおい、たたみの肌触り、毎回の友達とのやりとり、おやつの前の楽しい歌、外遊びの公園までの空き地のねこじゃらし、みんなで並んで帰る道、記憶には残らなくても本人のどこかにこの体験は積もっているはず、そう信じています。

 子どものためにと思ってしていることが、もしかしたら実は私がちあハウスを求めているのかもしれません。子どもとずっと一緒にいられる時間は「期間限定」。時々イライラしたり、途方にくれたり、大変なことも増えてきた今日このごろですが、子育てしていると幸せなひと時もたくさんあります。今しばらく、子どもとの時間を大切に、大事にしていきたいと思います。ちあハウスでの経験もいつかは私たち親子にとっていい思い出になる日がきっときますように・・。(毛利)





「心は頭の中にあるのではない。」(フランシスコ・バレーラ、Francisco Varela)

  •  普段、分かっているつもりでもいろいろと考えさせられる。
 〔出典:『「今、ここ」を生きる』ヨンゲイ・ミンゲール・リンポチェ著、PHP研究所〕(横山)





 昨年末よりにわかに盛り上がっているSNS。2013年度採用はソーシャルリクルーティング元年とも言われているそうで、Facebookが就職活動に取り入れられるとのこと。確かに従来とは異なる人間関係の形成方法のひとつのような気もします。従来のインターネットのような情報洪水ではなく、少し相手が意識できる関係がこれからどのような影響を及ぼすのか楽しみであり、また不安でもあります。(横山)


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