2015-03-06 Webマガジン『我逢人』Vol.11 を発行しました。


2015-03-08  「ビューティー・カレッジ'15春

  • ゲストや専門家を招いて開講される「美」と「健康」をテーマにした女性限定の課外授業。毛利が総合司会を務めます。
  • http://www.yomiuri-osaka.com/beauty/

【「こころの相談師」中級講座は3月28日(土)から開講です。】






武者小路実篤 「この道より」(つ花セん) 

「この道より我を生かす道なし この道を歩く」(武者小路実篤 詩『この道より』)


 この言葉を、淡路島を拠点に活動している書動家(書パフォーマー)、“つ花セん”さんに書してもらいました。
 Toi Toi Toi !!!は、今年の3月11日で、満4歳を迎えます。東北大震災が発生したまさにその時、大阪で産声をあげたのでした。以来様々な場面で人に関わる小さなことおこしを少しずつ手がけてきました。「まず、できることから地道にやっていこう」「多くの人とつながりを持っていこう」というのがスタート以後のポリシーです。
 冒頭の写真にある「この道よりわれを生かす道なしこの道を行く」という言葉は、「やれることをやろう、いや、やれることしかできない」という思いをまさに象徴した生き方をよく表していると感じ、知り合いである“つ花セん”さんにしっかりと書き留めていただいたものです。
 これからも、この言葉を胸に活動をしていきたいと思います。(横山)

『闘病記② 突然の病名告知』 - 毛利 聡子 -

 約二週間の入院治療で肺炎はようやく快復し退院にこぎつけたのですが、通常の肺炎ならもっと早く回復するはずでした。回復にてこずった理由は、肺炎の診断時に異常が指摘された、白血球と血小板の減少が関係していたようで、退院時、先生から「SLEの疑いがあるので、なるべく早い時期に膠原病内科を受診して詳しく診てもらった方がいい」と勧められました。肺炎の症状がなかなか改善しなかったのは「今まで治療が必要なかった免疫系の病気がこれを機に出て来た可能性がある」とのことでした。
 「膠原病」「SLE」!? そう言われても自覚症状はなく、退院時には今までどおりの体調に戻っていたので、突然聞きなれない病名を告げられてもピンときません。早速膠原病やSLEについていろいろ調べてみると、「自己免疫疾患」「難病」「原因不明」など不安な言葉が並び、知れば知るほど不安が増大して「早く診てもらってSLEではないとはっきりさせよう」と自分を奮い立たせるのがやっとでした。
 膠原病内科がある病院は大阪市近郊では市内に2つと北摂に1つだけで、一番近い病院を選び、退院から2週間後の10月初旬に早速受診しました。SLEと診断すべきかどうかは、数回にわたり血液検査をしてみないとわからないということで二週間おきに血液検査をして数値を見ていたのですが、その間も白血球と血小板はじわじわと低くなっていき、膠原病内科と並行して血液内科でも診て頂くようになりました。そして11月中旬、ついに治療が必要な数値にまで下がってしまいました。「治療を始めるなら、最初にステロイドを大量投入するため一か月の入院が必要」と聞いていたので、治療は避けられないと先生から言われた時には絶望的な気分でした。仕事も育児もある中で一か月にも渡る入院は現実的に考えられず、なんとか外来で治療したいと先生にも必死に訴えましたが、すべての判断基準は血液検査の「数値」で、とうとう血小板は治療が必要とされる2万を切ってしまいました。私が治療をなかなか受け入れられなかった理由は、血液の数値が低いだけで、特に何も症状はなく普通に生活できていたからです。それなのに副作用の多いステロイド治療を始めなければならないことにすんなりとは納得がいきません。「血液を凝固させて出血を止める役目の血小板が2万を切ると、いつどこから出血してもおかしくなく、脳内や臓器からの出血も起こりうる危険な状態であることには間違いない」と先生から説明を受けしぶしぶ受け入れた次第です。日常生活でも転倒や打撲にはとにかく気を付けるようにと言われていました。今思えばいつごろからか、心当たりがないのに、足や手の甲などに時々打撲した後のような内出血ができていたり、腕や胸の上辺りに、痛くもかゆくもない擦り傷のような赤い細かい点々の筋が数本できていて、「あれ?こんなところに赤い傷、何だろう?」と思うことがよくありました。それも内出血によるものだったのです。

 12月初旬、血小板と白血球の減少は、SLEによるものなのか、それとも血液の病気によるものなのかを判断するために骨髄検査を受けました。一週間経ったころ、血液内科の先生から自宅に突然電話があり、その内容に私は呆然となりました。血液の病気を排除するために受けたつもりの骨髄検査でしたが、逆に「先の骨髄検査の結果で、血液の重い病気の可能性が8割くらいある。もう一度骨髄検査をしたいので日にちを決めたい」という内容でした。「重い病気って・・白血病とか?」「まあそうです」「・・・」思い浮かんだ血液の重い病気はとりあえず白血病だったのでそれを口にしたら、「そうです」とあっさり肯定され、まだまだ話を聞きたかったのですが、気が動転して頭が真っ白になり、骨髄検査の日時を決めて早々に電話は切れました。「白血病」、「8割の確率」突然告げられた病名。しかも電話口でそう告げられて何が何だかわからずしばらくは呆然としてしまいました。
 その日から、二度目の骨髄検査を受けて結果が出る1週間余りは、ますます悪い方向に思考が陥り、白血病の症状や治療、予後のことを調べてはどんどん落ち込み、来年の今頃は私はもうこの世にいないかもしれない、などと最悪のことまで考えてしまい、子どもと接していても何をしていてもそのことばかり考えて涙ぐむ日々でした。
 12月19日、二度の骨髄検査の結果がほぼ出そろい結果を聞きに外来へ。 「白血病に間違いないので頑張って治療していきましょう」とまで言われていたのに、結果は「白血病とはいえない」とのことでした。私も驚きましたが、私以上に先生が驚いていました。いろんな感情が渦巻きましたが、とにかく白血病ではないことがわかりほっとしました。ただ私の場合は血液の二割ほどに異常な細胞があるそうでそれが今後どのような働きをするのかは「未知の世界」だそうです。またここで不安な気持ちにさせられましたが、経験豊富な先生が8割白血病と疑った判断が覆されたということはよほど難しいケースだったのでしょう。絶望の淵にいた私でしたが、白血病ではなかったことで少し光が見え本当にほっとしました。
 SLEなのか血液の病気なのか、膠原病内科で診るのか血液内科で診るのか、どちらの科にもまたがる判断の難しい「自己免疫疾患」。私の抱えている病気はドクターでも判断の難しい病気なのだとこの時初めて実感しました。今後どう免疫が自分の体にいたずらするかわからない、その時々で対処していくしかない、正体不明の病気とこれからつきあっていかなければならないことを強く自覚したのです。
 仕事に支障がでないようにと治療は年末年始にかけてすることになり、子どもとクリスマスイブを過ごした翌日の12月25日に入院することが決まりました。(続)

2016年卒の就職活動について - 横山 慶一 -

 3月にはいって、就職活動がスタートしました。

 2016年卒の就活スケジュールは、就活の早期化・長期化による学業への悪影響などを理由に、就職活動開始時期が3ヵ月遅くなり、学部3年の3月スタートになっています。従来であれば学部3年生(修士1年生)の12月に採用情報や説明会情報が解禁されてきたものが、現在の学部3年、修士1年(2016年卒業予定者)の場合、学部3年の3月からの解禁、採用選考開始は4年生の8月(現在は4年生の4月)からのスタートとなります。しかし、経団連に加盟していない外資系企業などが早めに採用活動をして内々定を出す状況は変わらないとみられ、足並みがそろわず、混乱することが予想されます。そこで、大幅に変わる2016年卒の就活についてまとめてみました。
 具体的スケジュールについては、3-8と言われているように、学部3年生(修士1年)の3月に採用情報が解禁(エントリーの受付け)、8月が選考開始(内定出し?)と考えられますが、具体的には、企業側は3月頃から大手就職情報サイトでエントリーの開示、情報提供などが始まり、4月頃から企業説明会を開催すると考えられますが、年度始めに加え、とくに人事部は新人研修などを控え多忙時期が重なっています。5月頃にはエントリーシートの提出、のほか筆記試験、グループディスカッションなどプレ選考が始まり、8月以降、実際の面談・選考と内定出しになるのではないかと思われます。しかしながら、現状を鑑みて、5月頃(早ければ4月にも「内々定」出しが行われるのではないかと思われます。そのような状況の中で、「不利になるリスクが大きい」、「大企業に落ちた後、中小企業を受ける時間がなくなる」など選考期間が短くなることを否定的に受け止める学生も多く、大手ナビサイト(リクナビ、マイナビなど)がグランドオープン(2015年3月1日午前零時)と同時に一斉にアクセスされ、ダウンしたりアクセスしづらい状態になったりしています。

 このような状況の中で、「学業を優先すべき」という意見とは裏腹に、後ろ倒しによって、通常の授業とぶつかることで単位取得などへの影響や、特に理系学生は夏以降に卒論、修論研究が忙しくなる時期に重なることや、教育実習、公務員試験と重なることなどが懸念されます。また就職活動の短期化により、大企業に落ちてから中小企業にチャレンジといった選択可能性も下がるうえ、民間一本の場合でも大企業と中小企業の採用時期が重なるという大きなデメリットが生じます。

 一方、就活時期の後ろ倒しはメリットが少ないと考える企業も多く、採用広報とを学生が卒業するまでの期間が実質的に短くなるため必要な人員が確保できるかどうか危機感をもっており、キャリア・イベントの開催やリクルーターを介して、早くから学生と接点を持とうとしています。また、早くから内定(内々定)を得た学生の場合、学生の一部は、それをすべり止めとして担保しているリスクを生じます。
 若手社員(リクルーター)を出身大学に送り、後輩の学生に会社や仕事をアピールするリクルート制度も活発化する兆しを見せているようで、有望な学生にいち早く接触を試みる企業の危機感の表れだと考えられます。
このような未確定要素が多い状況の中で、学生の皆さんは、まず、情報をしっかり収集していくことが大切だと思います。

それに加えて、自分が将来どうなりたいのか、そのために何を身に付けなければいけないのか、自分自身をしっかり理解し成長させていくことが必要です。そのために日ごろから次のように心がけていただければと思います。

◎将来を真剣に考える:自分を深く理解する

  • 働き方、生き方をしたいのか、今の自分と向き合って目標を決めてください。次に世の中をよく観察し、自分にあう仕事、本当にやりたいことを見つけてください。

◎社会との接点を持つ:視点を高める

  • 社会に関心を持ち、社会人と接っすることで世の中や経済の仕組みやビジネスをできるだけたくさん知り、理解してください。


◎学生生活を充実したものにする:大切なのは今

  • 全力で向き合うという体験をしてください。真に求められる人間力は経験を通してのみ成長させることができます。


以上、今年の就職活動について気になることを書いてみました。

ナラティヴ・セラピー(Narrative Therapy)の考察

「ナラティヴ」は「語り」「物語の」という意味で、「ナラティヴ・セラピー」とは、クライアントが語るこれまでの人生の物語を、クライアント自身が再構築して新たな物語にすることで問題の解決をめざしていく方法をさしています。
ナラティヴ・セラピー みんなのQ&A」(ショーナ・ラッセル、マギー・ケアリー 編、小森康永、奥野光訳、金剛出版) から、「ナラティヴ・セラピー」のポイントを抜粋してみました。


外在化

 人々がセラピストに援助を求めてくる頃には、彼らは自分たちにどこか悪いところがある、つまり自分たち、ないし自分たちに関する何かが問題をはらんでいるのだと信じるようになっている。問題が「内在化」されているわけである。
 外在化実践は、内在化実践に代わるもので、外在化は問題を個人の中にではなく、文化と歴史の産物として考える。問題は、社会的に構成され、時間をかけて創造されたものとして理解されるのである。つまり、

  • 『人が問題なのではなく、問題が問題なのである』という考え方に立つ。

 外在化実践の目的は、人々が自分と問題は同じではない、ということを理解できるようにすることである。
 外在化する会話の一番重要な側面は、その中で幅広い考えが重視されるということである。問題と人々の関係が歴史と文化によって形作られていることが理解されると、ジェンダー、人種、文化、セクシャリティ、社会階級、そしてその他の権力連関が、いかに問題構成に影響しているか探究していくことができるようになる。アイデンティティ形成に絡んだ政治学を考慮することによって、人生についての新しい理解が可能になる。それは「自己非難」によって影響されることが少なくて、いかにして私たちの人生がより広い文化的ストーリーによって形作られているかという気づきに影響されることの多い理解である。そして外在化することによって、問題が個人の中に位置づけられていた時には不可能であった行為の可能性が広がるのである。

 セラピストは、外在化する会話において、人々が経験している問題について自分が専門家であるという立場を取る必要はない。その代わりに、その問題がどのように働いているのかに本当に好奇心を抱き、人々と一緒に問題との新しい関わり方を探求していくことができる。重要なのは人々が経験している問題について人々を責めなくてよくなったことで、安らぎが得られ、私たちは協力して問題の影響や戦略を探求し、その影響力を減らす方法を見つけることができるようになる。外在化する会話によって、質問する際にそれまでとは違う立場を取ることが可能になる。時に探索的リポーター、時に歴史家、時に探偵にもなりうる。

再著述

  • 『問題をはらんだ、ドミナント・ストーリー(優勢な、支配的なストーリー)』
  • 『新たなアイデンティティに関するオルタナティブ・ストーリー(他に取るべき、もう一つのストーリー)』

 再著述する会話を始める方法はたくさんある。しかし、セラピストが好奇心を抱いて質問する立場を取り、ドミナント・ストーリーに矛盾する出来事に気づくべく努力することが基本原理である。問題をはらんだストーリーと食い違う行為なり意図のかすかな光が、いつでも存在する。私たちがそれを「ユニークな結果」と呼ぶのは、それらが問題ストーリーの領土の外側にある、ユニークなものだからである。(時に「輝ける瞬間」とも呼ばれる)。セラピストとしての私たちの役割は、これらの出来事を目を皿のようにして探すことである。
 いったんユニークな結果が認定されたならば、好ましいアイデンティティ・ストーリーの共同著述の機会を創造するような、会話が進むべき場所はいくつもある。
 私たちがセラピストとして行う質問は、再著述する会話のマップによって二つに区別される。一つは「行為の風景」についての質問であり、二つ目は好ましいストーリーの「アイデンティティの風景」に関する質問。これらの二つの質問カテゴリーは、すべてのストーリーは「行為の風景」と「意識の風景」の両者から成り立っているというジェローム・ブルーナーの記述に基づいている。

 「行為の風景質問」は、出来事や行為について訊ねるものである。ユニークな結果がいったん言葉で表現されたならば、以下のような行為の風景質問が続けられることになる。

  • そこで何が起きたのか、少し話してくれませんか?
  • あなたはどこにいたのですか?
  • 周りには、誰がいましたか?
  • そうするための準備として、あなたはどんなステップを踏んだのですか?
  • それができるようになるには、どんなターニング・ポイントがあったのですか?
  • その出来事は普通ではあり得ないことでしたか? それともこれまでに何度かあなたが行ったことのあるようなものでしょうか?
  • なんとかそれをやり遂げたことは、これまでに何度かありましたか?
  • その時は、どうやってそれをやり遂げたのですか?

 一方、「アイデンティティの風景質問」は、人々が異なる領域を探求できるように励ますものである。ここではオルタナティブ・ストーリーによって含意されることが、人々のアイデンティティ理解と関連付けられる。つまり、アイデンティティの風景質問は、自分自身のアイデンティティや、他者のそれについて違ったふうに振り返るよう人々を誘導するのである。

  • あなたが問題の影響から逃れられた時や、問題をいかに出し抜いたかについて、あなたが話してくださった時、それは同時に人としてのあなたについて何を語っていると思いますか?
  • 電話番号を変えるという固い決心をしたとき、あなたは何を望んでいたのですか、その行為は、あなたの人生に対する希望について何を語っているのでしょうか?
  • 不安を回避しなければならないのに、あなたが息子さんを学校に送って行ったとき、それを行うことは、あなたにとってなぜ大切だったのでしょうか。それは子育てについてのあなたの価値観について、何を語っているのでしょうか。なぜそれはあなたにとって大切なことなのでしょう。あなたがそれを大切にしていることは、あなたについて何を語っているのでしょう?
  • もしも彼がもう少し大きかったとしたら、このことは人としてのあなたの何を反映しているのかと聞かれて、どう答えると思いますか?

 再著述する会話は、「行為の風景質問」と「アイデンティティの風景質問」のあいだをジグザグに進む。

アイデンティティの志向的状態

 ナラティヴ・プラクティスは「アイデンティティの内的状態」という概念とは対照をなす「アイデンティティの志向的状態」という概念に関心を抱いている。私たちが探求していきたいのは、意図、希望、価値観、そして取り組みといった人々の行為を形作るものであって、内的欠損ないし欠損症、あるいは同様に内的「資源」「力強さ」ないし「特質」ではない。
 私たちはいつも人々のアイデンティティについて「志向的状態」の用語で語るように勧める。なぜなら、それによってストーリー・メイキングが可能になるからである。アイデンティティの志向的状態には以下のものが含まれる。(取り組みを頂点とする、五層構造のピラミッドをイメージ)。下記の図を参照。
 私たちが取り組みや目的、信念、価値観、そして夢に携わる方法が、私たちの行為や人生の生き方を形づくるのである。これらの志向的状態について考えるよう人々を誘い、それらを(ユニークな結果からできた)オルタナティブ・ストーリーにつなぐことによって、再著述する会話のための肥沃な土地が提供されるのである。
  • ある特定の行為を形作った意図ないし目的について訊ね、
  • そして、それらを支持している価値観および信念について訊ね、
  • その次に、それらの価値観と関連した希望や夢について訊ね、
  • さらに、そういった希望や夢によって表現される生活の基本原理について訊ね、
  • 最後に、取り組み、ないし人々が人生において支持していることについて訊ねる。

リ・メンバリング

 「人生クラブ」:私たちの人生というクラブには、私たちが自分自身をどう経験するようになったのかということに関して、特定の役割を担ってきたメンバーが所属しているというもの。
 私たちの人生を「会員制クラブ」と考えると、治療的会話に新しい可能性が生まれる。リ・メンバリングの実践は、人々が各自の「人生クラブ」のメンバーシップを改訂したり、組織し直したりするための文脈を与えてくれる。
 リ・メンバリング実践は、私たちのアイデンティティは他者との関係を通して形作られるのだというポスト構造主義の理解に基づいている。私たちの人生にはメンバーシップがあって、このメンバーシップは私たちがいかに自分自身を経験するかに影響を与えている。他者は私たちをどう見るのか、私たちは他者と一緒にいる自分をどう経験するのか、私たちはいかに他者と関わるのか、こういったことすべてが、私たちがどのような人間になっていくかということに影響する。

  • 『人は他者を通して人になる』

 この人生観は、私たちのアイデンティティは「多くの声」からできている(多声性)と考えるもので、単一の声からなる自己のみに焦点を当てるようなきわめて個別的なアイデンティティの説明とはまったく異なるものである。また、存在の中心にその人の本質であるさまざまな資質や要素からなる自己を構成する、現代構造主義的なアイデンティティ理解とも異なっている。リ・メンバリングする会話に根拠を与えるポスト構造主義の視点では、ある一つの「自己」というものを想定するのではなく、むしろそれは網の目のように張り巡らされた関係性なのだと考える。

  • 『自己が関係性を作るのではなく、関係性が自己を作るのである』

 リ・メンバリングする会話では、たいていその人の歴史上の人物を特定することになるわけだが、そうした人物が実際に直接関係のある人でなくてもよい。ある作家の本を読んでいる人は、その作家が自分のことを理解し、評価してくれると信じているかもしれない。そうであればその作家はとても有意義なリ・メンバリングする会話の焦点になる。私たちセラピストは、歴史を通してその人の人生への取り組みや価値観、そして目的をたどることに興味を持つわけだが、こうした取り組みや価値観、目的のある人生や生活に重要な貢献をするのは、神話上の人物や、想像上の、ないし架空の人物であったり、歴史上の人物、動物、可愛らしいおもちゃかもしれない。当事者はそうした人物を何かしら特定することができる。なぜなら、人の能力や取り組み、価値観や目的といったものは、まっさらな所で作られるのではないから。それらは、その人の歴史、および他者や世界との関係性によって形作られてきたものなのだ。こうした結びつきと歴史を掘り起こす方法を見つけだすのがセラピストなのだ。
 リ・メンバリングする会話は、それがなければ顧みられることのなかった人生の経験に再び触れる機会を提供する。自分の人生が、共通の価値観や主題を囲むようにして他者の人生と結ばれていると経験することは、孤独の解毒剤にもなる。元気づけてくれることでもある。
 特別な人たちを自分のチームとして心の中に持ち、その人たちが経験しているところの自分というものを所有していれば、人々は偶然ではなく自ら選んだコミュニティの中にいることに気づくのだ。これで状況は一変する。
 リ・メンバリングする会話は相談に来る人の人生におけるセラピストとしての立場を特権化することではない。なにしろ私は二週間のうちたった一時間しか彼らと会っていないのだから。リ・メンバリングする会話によって、生きるという絶え間なく続く業がセラピーの外で起こっていることが認識できる。リ・メンバリング実践によって、相談に来る人たちの人生における他者の大切さが思い出される。

アウトサイダー・ウイットネス(外部の証人)

 ナラティヴ・プラクティスにおいて、アウトサイダー・ウイットネスとは、セラピーの会話に招かれた聴衆のこと。セラピストに相談に来た人の好ましいストーリーやアイデンティティの主張を聴いた上で認証するよう招待された第三者のこと。

好ましいストーリーに証人がいることはなぜ重要なのか?
ナラティヴ・プラクティスは、私たちが自分たち自身について語るストーリーが私的でも個人的でもなく、社会的達成なのだというアイデアに基づいている。アウトサイダー・ウイットネスは、アイデンティティ主張を価値あるものとして認証し、人生において私たちに重要なもののストーリーを共有することを達成する上で役立つ。

定義的祝祭

 定義的祝祭は、自らの存在を他の人々の目に触れさせ、自らの価値や活力、そして存在を自らの言葉で証言する機会を生み出す戦略である。

 ナラティヴ・プラクティスにおける定義的祝祭は、一般的に四つのパートから成り立つ。

  • パート①:セラピストが、相談に来た人をインタビューするあいだ、アウトサイダー・ウイットネスは、それを聴く。アウトサイダー・ウイットネスは、ワンウェイ・スクリーンの裏に座ることが多いが、それは必須ではない。
  • パート②:アウトサイダー・ウイットネスは、スクリーンの裏から出てきて、セラピストと相談に来た人と交代する。今度はアウトサイダー・ウイットネスが、パート①がどんな意味を持っていたかお互いに語りあうことになる。
  • パート③:人々は、再度場所を交代し、セラピストは、相談に来た人に、アウトサイダー・ウイットネスの話を聴いた経験について質問する。
  • パート④:全員が一堂に会して、ここでの経験について語り合い、セラピストにも、なぜあそこでああいう質問をしたのかと問うことができる。


 これらの定義的祝祭は、しばしばセラピーで使われる一方、治療的なコミュニティ集会を構造化するのにもつかわれる。

 アウトサイダー・ウイットネスについて頭の隅に置いておくべき考えは・・

  • 何が自分の心に触れ、感動させたのか?
  • 自分がこんなふうに心を動かされたと言えるのは、自分自身の人生ないし経験の中のどの部分なのか?
  • 人生を考え、経験する中で、自分はどこへと動かされているのだろう?
  • この新しい場所へ動かされることで、自分の人生は、どう異なっていくのだろう?

以上、ナラティヴ・セラピーの概要をまとめてみました。

 私はナラティヴ・セラピーについて知る中で、これまで実践してきたカウンセリングを振り返ることができました。
 私はこれまでクライアントの問題が本人の中にあるのだと信じて疑いませんでした。そして、その歪みや不健康な部分をどこか責めているような、そんな感覚がありました。

 ナラティヴ・セラピーはもっと広い視野でアイデンティティをとらえる方法を教えてくれています。
 それともう一つ、私がこれまで職業としてきたインタビュアーとして人々に話を聴く時、あるいは人々に語ってもらうときの技法と、ナラティヴ・プラクティスにおける質問技法に共通点があるのではないか、あるとすればどこなのか、それを体系立てて考えてみたいと思うようになりました。

 再著述する会話の方法の中で二つ挙げられた、「行為の風景」についての質問と、「アイデンティティの風景」に関する質問。この二つの技法についてはインタビューをする際にも使い分けていたものです。「行為の風景」だけでは事情聴取になってしまう、いかに「アイデンティティの風景」を語ってもらうか、そこに苦心していました。その人のアイデンティティがどのように形作られてきたのか、生い立ち、歴史、環境、出会った人々、あらゆる角度から質問し、その人となりを語ってもらうインビュアーとしての作業と、ナラティヴ・セラピーにおけるセラピストの作業は、どこか共通点があるように思います。そのあたりを体系づけてみたいと思っています。(毛利聡子)

『日本人の心の歴史』(唐木順三)

 グローバル化が進み、個別的―仮説的・帰納的、実験的、客観的、機械的、操作的、つまり典型的な意味での「科学的」な角度から真理と意味を探究する「科学的・合理的な世界観」が優勢な時代から、人間のきずな、エコロジカルな感受性、ネットワーキングなど豊かな感受性や幸福を探求する相対主義的個人主義へ移行しつつある中で、日本人のもっと感性が活かされる時代だと感じることがあります。
 『 日本人の心の歴史』において唐木順三氏は、季節感の表現を歴史的に振り返りながら、日本人特有の鋭い感性を俯瞰しています。左の写真は20代の時に読んだ古本です。既に絶版ですが、文庫本が出ていますので、近いうちに“ほんカフェ・オンライン”で読書会を開催したいと考えています。

 今回はその「初版はしがき」から、エッセンスを抜粋しました。

日本人は、仏教、儒教、国学、洋学、それに文芸、芸能、書画、それらが、歴史的に、また社会的に、総合的に述べるという、概論的、総括的な仕事にはむいていない、あるいは不慣れである。一方、局部については実に精緻な、また豊かな観察をしている、また些事を大きな背景において感じ取っており、感受性においてきわだってすぐれた民族であることはたしかである。


と言い、季節感に言及しています。

それを最もよく示しているのが季節感といってよい。我々日本人は、眼で、耳で、鼻で、また肌で、舌で、季節や季節の推移を感じる。雲の色や形で、風や雨の音で、松茸やさんまを焼くにおいで、乾いた、また湿った空気で、しゅんの食物で季節を感じる。「目には青葉山ほととぎす初鰹」という素堂の句が代表的に示しているように、五官を通してその折々の季節を感じ取る。そしてまた、咲く花のにおうが如くといって、時勢や人生の全盛の感情をそれに託し、落葉において凋落を、秋の夕暮において寂寞を歌った。すなわち心のほどを季節に託して表現した。万葉集以下に「寄物陳思」(物に寄せて思いを陳(の)ぶ)という類の歌があるが、その「物」は多くは雪や月や花、花や鳥や風や月、雪月花、花烏風月であった。例えば万葉集巻十に「春の相聞」という部立がある。その中で鶯の鳴く声にわが恋人を思い、「卯の花くたし」や、藤波、また霜や霞に、わが恋のくさぐさを託している。すなわち、思いも恋も、自然の景物、季節季節の風物において、またそれを通じて歌われているのである。別にいえば、心が季節の景物において、景物が心において歌われている。だから季節の感じ方、景物の選び方の歴史を辿れば、心の歴史の、少なくとも一面を明らかにすることができるわけである。


日本人がなぜ季節の変化、四季折々の風物を強く、敏(さと)く感受したか。


それにはいろいろの条件が考えられる。日本の風土が、四季折々の変化を、花鳥風月、山川草木において鮮かに示しているという自然的条件がある。また日本の民族が、春、播き、秋、収めるという農耕の民族であったという社会的条件もある。また日本がいわゆるモンスーン地帯に属していて、自然の気象から恩恵と同時に損害をつねにうけてきたという地理的歴史的条件もあろう。さらには季節への感受性のほどを美しく示している歌集、古今集以下の八代集が勅撰であったこと、後代がそれを学び、まねぶことをもって雅(みやび)としたという文化的条件も考えられる。以上のようなさまざまな条件が、日本人の季節への鋭敏な感受性をつちかってきた。


ところで、春と秋と、いづれがよいかという、いわゆる春秋優劣論は万葉の額田王から始まっている。各人各様の嗜好、ひいては季節感覚をもちながら、一つの時代にほぼ共通した、共通とはいえないとしても、時代の平均的な好みがみられる。万葉集では梅が、古今集では桜が多くうたわれているというようなこともその一つの例である。後拾遺集において初めて「秋の夕暮」が登場し、新古今集において、その句の頻度が一段と多くなるということもまた一つの例である。「氷ばかり艶なるはなし」といった心敬が出てきたことによって示されるように、中世において冬の美が初めて自覚的になったということもその例である。そして、そういう時代の平均的嗜好の変遷、季節感の歴史的変遷の背後には、その時代の歴史的性格がある。政治や社会、文化や学問の歴史的推移が、おのづからにその時代の季節感にも反映しているわけである。


として、古事記・万葉から俳諧、茶道や禅を経て近代に至る感受性の変遷(心の歴史)を辿っています。
 特に、本論で繰り返し述べられる慧眼(えげん)は、「一が多を、部分が全体を象徴して余すところがないという、東洋風の象徴主義」の指摘であり、十七文字(短歌)や身心脱落など究極にまで無駄を捨て去ること、あるいは否定の極限など、情報過剰に振り回されている現代日本人へ新しい姿勢のあり方を示唆するものだと思います。(横山慶一)


君子の貴ぶところのものは志のみ。胆なく志なくんば、すなわち区々の才知またなんの用かこれをなさん」(吉田松陰語録)

  • 立派な人が尊ぶものは、志である。物おじしない気力である。志も気力もなければ、こまごました才能や知識をひけらかしても何の役にも立たない。

 先日あるフォーラムで、岩手県宮古市の観光協会で学ぶ防災ガイドを務めておられる方に直接話を伺う機会がありました。震災から3年かかってやっと瓦礫の撤去が終わり、今猛スピードでまちの復興が進んでいるとのことでした。
 まもなく3.11を迎えます。遠く離れた私たちはこの日だけを特別のように思いますが、被災地の方々は毎月11日が特別な日。亡くなった方々に想いを寄せる日だと言われました。あの日の教訓を未来へ受け継いでいくために私たち一人一人ができることを改めて考える日にしたいと思います。(毛利)


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